宗務課の出した宗教の定義集は「宗教」の定義はかくも難しいということを理解らる際などにおいて広く利用されているような気がします。

『宗教の定義をめぐる諸問題』出版(C.E.1961)から50年以上が経過し、著作権が消滅しています。先人らが「宗教」をどのように捉えていたのかが広く知られることを願いここに掲載します。

青空文庫にも載せられるようにルビやらなんやらしたいと思いつつ。整形や目次、ページ内ジャンプは今後やる気が出たら。。。


はしがき

 最近、各方面で宗教に対する関心がたかまり、宗教とは何か、宗教活動とはどういうものか、などについて、くり返して論じられています。
 宗教の定義は、もともと極めて広く、また複雑な問題で、学界においても、それぞれの立場と見解によって、異った定義が提出されており、また時代の変遷とともに、新たな観点から研究された定義が、あらためて論じられる状況であります。
 そこで、宗教現象のどのような要素が定義を困難としているのか、あるいは、宗教の定義には、通常、どのような問題が取り扱われているのかなど、宗教の定義をめぐる諸問題について、今回、専門的立場から検討しかつ紹介してもらうことにしました。
 本文中にも、度々言及されている通り、複雑な文化現象である宗教を定義づけることは、非常に困難なことであります。そのため、本書では、学問的な立場から研究されてきた、定義をめぐる諸問題の紹介検討が、おもな目的となっています。
 本書は次の2部にわかれています。第1部「宗教の定義をめぐる諸問題」では、諸学説の検討がなされています。第1部第1章は,東京大学教授(宗教学担当)岸本英夫氏、第2章は、立教大学助教授(宗教学説史担当)脇本平也氏、第3章は、立教大学助教授(宗教哲学担当)藤田富雄氏、第4章は、東京大学助教授(宗教社会学担当)柳川啓一氏の、執筆にかかるものであります。第2部「宗教の定義集」では、内外学者、諸権威による定義を、できるかぎり集めて、参考のために紹介することにしました。ここの資料が、宗教の研究に関心をもつ方々に、大いに活用されることを願っております。
 おわりに、本稿の執筆にあたられた諸氏が、御多忙中にもかかわらず、教筆計画とその内容の調整のため、度々会合を持たれ、本書の構成のために、なみなみならぬ努力を払われたことについて、深く感謝の意を表する次第です。 1961.3.1

文部省調査局宗務課長
近藤春文

第1部 宗教の定義をめぐる諸問題

鈍意制作中

第2部 宗教の定義集

 宗教研究の分野における、古今の学者・学識者の、宗教についての定義をここに集めてみた。ここに集められた定義は、その学者や学識者が、神学・哲学・宗教学・社会科学・自然科学のいずれの分野に所属するにせよ、客観的な立場から到達した理論的結果というべきものである。なお、ここにあげられた学者・学識者の研究のほかに、宗教の定義を扱った研究は多いが、ここでは宗務課において現在まで集めえたものだけを掲げることとし、他はまたの機会にゆずることとした。

1 ミル (イギリス哲学者)
 宗教の特質は、ある理想的事物を最も卓越したものとして、自己の到達すべき願望以上に置き、これに向かって熱心な敬いと願いを寄せることである。

2 アーノルド (イギリス神学者)
 宗教とは、情緒を触発する道徳を意味する。

3 ケアード (イギリス哲学者)
 宗教とは、人の宇宙に対する究極の態度の表示、すなわち全意識の純粋な表示にほかならない。

4 ハックスレー (イギリス博物学者)
 宗教とは、倫理的理想を尊敬し、その理想を人生において現実にしようと努める願いである。

5 マルティノー (イギリス哲学者)
 宗教とは、永久に存在する神に対する信仰を意味する。換言すれば、宇宙を主宰し、人類と道徳的関係を保持する神の意志を奉ずることをいう。

6 ガロウェー (イギリス宗教哲学者)
 宗教とは、人間以上の力に対する人間の信仰であって、これによって人間は安心立命を得、これを礼拝祭儀の行為に表現するものである。

7 フレーザー (イギリス宗教民族学者)
 宗教とは、自然と人生との行路を支配すると信ぜられる人間以上の力を慰和することである。

8 ゼイムズ (アメリカ宗教心理学者)
 広い意義において、人間の宗教は、人間が根本的真理と感じたものに対する自己の態度とみることができる。
 最も一般的にいえば、宗教的生活とは、見ることのできない世界のあることを信じ、ならびにわれわれの最高善とはわれわれを、これと調和順応させるにある、という信仰から成るということができよう。この信仰とこの順応とは、霊魂の宗教的態度である。

9 ムーア (アメリカ宗教学者)
 われわれが観察しうる宗教現象には、左のような共通の特徴を見ることができる。
 (1) 人間は、この世にある力が存在し――その力をどのように考えるにしてもその力が人間に対して及ぼす作用のいかんによって、人間の安寧幸福が種々決定されると信ずる。
 (2) 人間は、このような力が人間自身のものと同じような動機によって活動させられるために、このような力は人間にとって不可解なるものであると信じない。
 (3) 人間は、なんらかの手段をもってこのような力に作用を及ぼし、このような力が自分に害を加えないよう、あるいは自分の役にたたせるようにしむけることができると信ずる。
 (4) そして最後に、人間は、以上の信仰をもって行動する。

10 ホワイトヘッド (アメリカ哲学者)
 宗教とは、内部を清める信念の力である。
 宗教とは、人間と事物の本性のうちの永遠なもののみを取り扱う、人間の内的生活の技術と理論である。

11 ライト(アメリカ宗教哲学者)
 宗教とは、人間の自我や他の単なる人間のもつ力とは異なる、ある力を喚起するものと信ぜられてをり、かつこの対象に対し依頼の感情を包含する特殊な行動によって、社会的に認められる価値の保存を確保しようとする努力である。

12 デビドソン (アメリカ主義の著者)
 宗教とは、われわれの知識と愛と意志とが最高の発展をするよう、われわれと周囲とを調和させしめるものである。いかなる宗教も、われわれの共和国にかってこの目的に適するものはなかった。

13 テンニース (ドイツ社会学者)
 宗教は、本質的に社会的であるが、一見矛盾しているようで、そして実際しばしば互に争う二重の性質を有する。宗教の作用は、第1に、権威を確認し堅固にさせることであって、したがって強者をますます強くする。しかし第2に、宗教は弱者特に婦女・小児・老人を保護支持するように努める。第1作用の勢力は特に政治的であり、第2は倫理的ということができる。

14 プラット (アメリカ宗教心理学者)
 宗教とは、個人または社会が、かれらの利害と運命とに対して、究極的支配を有するものと考えている力に対する、かれらの真剣で社会的な態度である。

15 カント (ドイツ哲学者)
 われわれのすべての義務を、神の至上命令であると認識すること、これがすなわち宗教である。

16 ヘーゲル (ドイツ哲学者)
 宗教とは、絶対精神の自己意識であり、哲学が概念の形で有する思想の内容、すなわち絶対的実在を、表象の形式によって表わしたものである。

17 フイヒテ (ドイツ哲学者)
 宗教は、意識的道徳である。すなわち、われわれの意識するものであるが、しかも意識の原因は神命に基づいている。

18 シュライエルマッヘル (ドイッ哲学者)
 宗教は、絶対帰依の感情であって、神すなわち無限に対するあこがれである。そしてそれは知に発せず、意志に発せず、まったく感情――無力な感情ではなくて、精神的に復活し生命を拡充しようとする感情に発するものである。

19 フォイエルバッハ (ドイツ哲学者)
 宗教とは、人間的本質(弱さ)の人間自身における反射投影であって、すなわち神とは、人間が自己のほかに独立する実在としてかってに定立したものにすぎない。

20 シェリング (ドイツ哲学者)
 宗教とは、われらが知るところと行なうところとの間に存する、最も高い調和の意識である。

21 プライデレル (ドイツ神学者)
 宗教とは、敬信のひもや帯により、人と神とを結合すること、そのことである。

22 マクス・ミュラー (イギリス宗教学者)
 宗教とは、無限の認知であって、その無限の認知は、直ちに人間の徳性を感化し得べきほどのものである。

23 コント (フランス社会学者)
 宗教とは、仁愛の崇拝そのことである。

24 デュルケーム (フランス宗教社会学者)
 宗教とは、神聖な物、言いかえれば、隔離され禁止された物に関する信仰と行事との体系である。信仰と行事とは、これに帰依するものをすべて教会と呼ばれる一つの道徳的共同社会に結合する。

25 サバチェ (フランス宗教哲学者)
 宗教とは、悩める霊魂がそれ自体およびその運命が依属すると感ずる神秘力と結ぶ交通の、意識的でかつ意志的な関係をいう。

26 レヴィ・ブリュール (フランス宗教学者)
 宗教とは、人が神秘的霊を、自己および世界の支配者であると認め、そしてこれと自己との結合の感じから生じてくる人生の規定である。

27 スカズートー (イタリー宗教法学者)
 広義における宗教とは、一定種類の超自然に対する集団的信仰である。集団的でない個人的信仰は、意見であって宗教ではない。

28 クロポトキン (ロシア地理学者および無政府主義者)
 宗教とは、よりよい新社会組織を建設しようとする熱望である。

29 スピノザ (オランダ哲学者)
 宗教とは、神の知的愛、すなわち神明を愛慕することである。

30 ティーレ (オランダ宗教学者)
 宗教とは、自己以外で、かつ自己以上のあるものにあこがれ、みずからこの力のもとに生きることを意識し、これと接触することを渇望することである。

31 ダルヴェイラ (ベルギー宗教史学者)
 すべての組織的宗教に共通の三要素は、次のように分類されよう。
 (1) 人の運命と自然の運行とに関与する超人間的生命の存在の信仰。
 (2) この存在に接近するか、またはこれから逃避しようとする。あるいはそれが関与してくる目的およびその取ろうとする形相を予測しようとする、あるいは和解もしくは強迫によりその行動を変化しようとする企て。
 (3) このような企てに成功するため、特別な資格をもつと考えられる、ある個人の媒介に依存すること。
 (4) 超人間的力の認知のもとに、ある慣習を置くこと。

32 ドゥーム (スイス神学者)
 宗教とは、より高い実在の力によって、神聖な交わりに加わえられることである。

33 ヘフディング (デンマーク哲学者)
 宗教とは、価値の保存に対する信仰である。

34 セネカ (ローマ哲学者)
 宗教とは、神を知ってこれを模倣することである。

35 オットー (ドイツ宗教心理学者)
 宗教はこの世のものとは全然別な聖なるものに関すること、それは非合理的な、驚嘆し戦りつさえするほどの秘義である。

36 ベート (ドイツ宗教心理学者)
 宗教とは共生感 Symbiose を基調とする生活行動である。

37 フロイド (オーストリア精神分析学者)
 宗教とは下意識(Subconscious)にあるリビドー(Libido 不当に抑圧された性欲を中心とする生[#「生」はママ]の衝動)の交錯 (Komplex 環境条件との相克調和)から生まれてくるる[#「くる」は底本では「くるる」はるまで、くるる。みたいで好き]。

38 キング (アメリカ宗教学者)
 宗教とは最高、永遠、普通、究極的なものに対する価値的態度(Valuational attitude, appreciative disposition)である。

39 エームス (アメリカ宗教心理学者)
 宗教とは最高の社会的価値の意識である。

40 ウォッバーミン (ドイツ宗教心理学者)
 宗教とは従属感と義務の意識である。

41 リューバ (アメリカ宗教心理学者)
 宗教とは人格感情的行為である。(Anthropopathic behavior)

42 ロイス (アメリカ哲学者)
 宗教とは忠誠の態度である。

43 ゼーダーブローム (ウプサラの大僧正・宗教学者)
 宗教とは神信心のことで、一言でいえば力の表象である。(Machtuorsttellung)

44 ベルグソン (フランス哲学者)
 宗教とは物質の抵抗を破って飛躍する生命の発現であって、そこには慣習や理知をこえた情緒が支配する。
 神とは神秘的直観で体験される充実した神的愛である。(elan vital)

45 ヴント (ドイツ心理学者)
 宗教は、自己が依属すると考える理想世界が、実在すると感じる時に成立する。

46 ジェボンス (イギリス宗教学者)
 宗教における神霊との合一は、社会における同胞相互の合一を導き出し、儀礼的集団的礼拝の目的は、同胞の利益と社会団結の保持にある。

47 キッド (イギリス社会学者)
 宗教とは、超合理的な制裁の信念から、民族発展の社会的利害のために、これと矛盾する個人の利害を犠牲にすることである。

48 スミス (イギリス宗教学者)
 宗教は常に集団的形態をとり、集団意識となって現われる。それは同法意識を高め、これを精神的に結合する働きを有する。

49 ヒル (ドイツ宗教学者)
 宗教は社会の要求により生じ、その使命は個人的欲求を抑圧してこれを集団の利害に一致せしめることにある。

50 ロアジー (フランス宗教学者)
 宗教は社会理想を提示し、社会がその理想に向い進む方式又は動力となるものである。

51 グルッペ (ドイツ神話学者)
 宗教は社会的本能により現実の不満を非現実的に満足させ、このようにして社会の安寧を保つのである。

52 アントウィーラァー (ドイツ宗教学者)
 宗教をごく一般的に定義づけると、次のようにいえるのでないか。宗教とは、これ以上は到達できないという最高の、現実(Reality)のありかた(構造と秩序)に対して、人間の無条件かつ最上の没入しようとする努力をいう。

53 スウリアボン (タイ宗教問題研究者)
 世界のどの宗教も共通して次のような信念をもつものである。
 第1にそれは(宗教的信念は)普遍的正義の存在を主張し、第2に、それによって正義とされる思想・行為に対して、悪とされる行為が区別され、第3に、この世界に善に報い、悪に応ずる力の存在を認め、第4に、すべての宗教は、以上によって、人心を純にして善を行なわせる目的に向かわせるものでなければならない。

54 ニューマン (イギリス神学者・枢機卿)
 確率が持たない力を、確率に与える源が、信と愛である。信と愛の対象となるばかりでなく、もともと信や愛の源であり、その確率(あるいは可能性)を内的な確信におきかえる理由を与えるものである存在は、信と愛の中に受け入れられているその対象そのものである。すなわち、確率を確信にかえる力が、宗教であり。その源が神である。

55 フランク (ドイツ宗教哲学者)
 信仰とは、体験、ただし単なる外部的存在を体験するというようなものではなく、自己の体験のうちに、そして自己の良心と真実のうちに、自己がある実存する力に依存しているという切実な体験をさす。こういう信仰の概念は、近代人にとっては、自己が自己の実存に関する制限に出会い、そして、自己の存在について自己の語るもろもろの説明がすべて限られたものであるという事実に目ざめる時にのみ、その信仰の真の意味。その真実さにおいて、理解されるようになる。
 宗教とは、神の敬うべき存在の自覚だけでなく、道徳的良心に現われる神意の体験の、その両面をもっている。この宗教の第一面は、宗教の心理学的な、不合理な要素を強調する学者によって注目され、一方、後者は、神意という形ですべての道徳的義務の理解がすなわち宗教であるという、カントのような合理主義者によって支持される。しかし、どのような定義をとりあげるにせよ、宗教ということばによってわれらの意味する体験の複雑さは、とうてい全体的につかむことはできないのである。

56 ボールディング (アメリカ経済学者)
 宗教とは、人間の全人格あげての、全人格に関する問題である。そのために、人間の知識の専門化はこの問題への接近を困難にする。一つの狭い専門分野に自己の全存在を投げ出す人間は、精神的生活のこの全体性について、敵意をもつか、あるいは少なくとも無関心をよそおうものである。

57 ユーリック (アメリカ教育学者)
 宗教とは、完全なもの(Wholeness)へのあこがれであり、また、実存の普遍性に、その中で孤立するものが、たちかえろうとするまち望みの体験である。

58 パーソンズ (アメリカ社会学者)
 宗教とは、信念、行動、制度の複合体である。宗教と呼ばれるものは、いずれの社会でも、人間が、実験的かつ機械的な意味では、合理的に理解しまた取り扱い得ない人生や、また人生上の状況に対応するために、発展させてきたものである。また、宇宙における人間存在に根本的な意味を与える超自然的秩序の存在に関する概念に、うまく適合する行動やでき事、あるいはまた、その個人の運命や、またある人間の他の人間との出会いに、意味を与える諸価値に、照合する意義を、このような宗教と呼ばれるものに人間が附与するものである。

59 ボアズ (アメリカ人類学者)
 宗教とは、個人の外部世界に対する関係から生じてくる一群の概念・行動と規定する。ただし、このような関係が、純然たる合理的説明により解きうる物理的力に依存する時は、その限りではない。

60 ザウレス (イギリス宗教学者)
 宗教とは、人間の、超人的存在として信じられるものとの実際的関係である。

61 ジアストロウ (イギリス宗教学者)
 宗教とは、人知をこえていて、そして人間が依存する力 (a Power of Powers)への自然の信仰と規定する。この信仰および依存感は、人間と、その探求対象である力の間に、好ましい関係を打ちたてる意図で、(1) 組織に、そして、(2) 特別な信仰行為、(3) 行動の規約にと展開してゆく。

62 クロゥレエイー (イギリス社会学者)
 宗教行為は、神とか霊魂に対する信仰に必ずしも依存しない。宗教の本質は、「聖」であり、宗教の第一の機能は、人生の肯定と純化ということである。

63 ラデイン (アメリカ人類学者)
 宗教の本質とは、さまざまな信念、行為、情緒によって伴われる人生の価値感である。

64 マレット (イギリス人類学者)
 神秘的な力(Potency)への情緒的な反応が、魔術的、宗教的体験(Magicoreligious)の本質である。積極的意味において、この神秘的力の保持するもの(物そして人)は、聖なるものとなり、否定的な意味では、それはタブーとなり、近づきがたいものとなる。しかし、真の宗教(Religion)が生まれるのは、その力に対する情緒的反応が謙譲さ(Humility)を含むに至った時である。この謙譲さは、もともと恐れおののくこどもの体験にみられるように、魔術的、宗教的力の体験のうちの根本的な要素を形成する情緒や衝動から生まれてくる。これらの根本的情緒や衝動が、有益な社会慣習と関連することによって道徳化されると、心理学的にみて、その他のいかなる信条体系よりもより有効に働く、すなわち真の宗教の特異性としてみられる、絶対服従への態度を生むのである。ただし、宗教の最終的な定義は、心理学その他あらゆる科学的研究の、到達できるかなたにあることを断わっておく。

65 フロム (アメリカ精神分析学者)
 宗教とは、一つの集団に共有されるもので、その中の個人に、それに準じようとする態度と、その献身の対象とを与えるような、相互に関連している思想や行動の全体をさすものである。

66 ラッセル (イギリス哲学者)
 宗教とは、恐怖から生まれた病気、あるいは人類の無限のみじめさの根源である。
 要するに、宗教は、もともと、一つの社会現象である。

67 デビス (アメリカ社会学者)
 宗教は、肉体的欲望よりも感情の、そして個人的興味よりも集団的目標の優越を維持するために、四つの役割をもつ。第1に、その超自然的信仰の体系を通して、第一義的な集団目標と、その第一義性に関する理由づけとを提供する。第2に、宗教は、その集団的儀礼を通して、共通的感情の絶えざる更新についての手段を提供する。第3に、その聖なる対象を通して、価値について具体的な照合目標と、同じ価値を共有するすべての人々を糾合する対象を供給する。第4に、宗教は、報いと罪の、限りないそしてうち勝ちがたい源、換言すれば、報善応悪の源を示す。このようにして、宗教は、社会統合 (Social integration) に、独特かつ欠くことのできない貢献を行なうのである。

68 インガー (アメリカ社会学者)
 宗教とは、信念と行動の体系であって、それを手段にして、一群の人々が人間生活の究極的な諸問題に取り組むのである。

69 マリノウスキー (イギリス人類学者)
 魔術的、宗教的儀礼に関する最も重要な事実は、それが、知識が失敗したその時に介入するということである。超自然的に始められた儀礼も、人の生活に根づくものであって、また人間の実際的な生活努力に相反するものでもない。魔術や宗教の儀礼において、人は奇跡を行なうように試みるが、それはかれが人間の精神力の力を認めているからこそ試みようとするのである。

70 エリアデ (ルーマニア宗教学者)
 宗教とは、いずれの文化にももれなく観察される「永遠回帰の神話」(The Myth of Eternal Return)に象徴されるような、人類の完全な原初の世界に立ちもどろうとする欲求の表現である。

71 フラワー (イギリス宗教学者)
 宗教とは、絶対的彼岸(Utterly-beyondness)の要素を識別することによってきまる態度である。その態度は、この世の中には、自己の才能が適当に取り扱える以上のものが存在すると覚知する、精神的展開から出てくる。

72 ダンラップ (アメリカ宗教学者)
 歴史的諸宗教はしばしば共通の概念というものを、その教義の中で扱うが、しかし、普遍的な宗教的概念・情緒というものが存在するとも言い得ない。(中略)いずれかの宗教の信者によって経験されないというような感情や情緒があるわけではない。世界の各宗教には、感情や情緒のあらゆる段階が備わっており、そのそれぞれは、ある特定環境(時と所)によって、経験されるというにすぎない。

73 オルポート (アメリカ心理学者)
 あらゆる宗教的行動は、なんらかの方法によって、(自己の意識する)価値の現状と、その完全な実現可能性との間にある、差異を埋めようと努力する行動のことをいう。

74 ブラアーデン (アメリカ心理学者)
 宗教とは、生活に意味を与える源の追求行動である。

75 ショットウェル (アメリカ宗教学者)
宗教とは、認知できても理解できないもの(Something apprehended but not comprehended)に対する、人類の反応である。

76 ゴールデンワイザー (アメリカ人類学者)
 もしも宗教的衝動が、宗教の根本的な情緒的根源であるとすするならば、マナ(Mana)、といってもメラネシア人のマナであるとか、北米土人のマー(Manitou―神)であるとか、特殊なマナ概念をさすのではなく、あらゆる歴史的付着物を取り去った、心理学的にさらに根本的なマナが、宗教の根本概念、すなわち超自然力の純粋概念、換言すれば、その本質において、思考されるものであるというよりは知覚(Sense)されるべき概念となるのである。
 (注) マナ。超自然的な力で、あらゆるものを通して働く伝達力をもち、あらゆる結果をひきおこす力である。

77 タイラー (イギリス人類学者)
 最も本質的なものを論ずるほうがよく理解されやすいと考えるが、宗教を最も狭義に解釈(A minimum definition of religion)すれば、単純に、霊的存在への信仰(the belief in spiritual beings)というのが妥当であろう。

78 カークパトリック (イギリス社会学者)
 宗教とは人類が文明を持つとともに始まったものである。その複雑な性質のために、本質的宗教というものは定義できない。ただし、その本質を形成するものが、人間の(1) 想像力(Imagination)、(2) 複雑な情緒的展開(Emotional development)、(3) 宗教的言語の三つであり、これが互いにからみあって、一つの宗教的体系を形成してゆくと言えるのである。

79 ウェッブ(イギリス宗教学者)
 あらゆる人間の宗教は、他人とともに働く共同活動の一員としてとしてのかれだけでなく、あるがままの個人としてのかれにも所属するものである。(中略)宗教は人間生活のすみからすみにまで関与している。自己の全体、環境の全体をのみつくするので、究極的現実と、かれによってはあくされるものに対する、全身的反応となって、宗教は、その所期の目的に合うものとなる。

80 ワット (ドイツ宗教学者)
 宗教体験とは、人間あるいは人間精神(the human mind=人類全体)の、絶対なものとの出会いの内的状況である。

81 ヒックマン (アメリカ宗教心理学者)
 宗教とは、その様相の一面を特に取り上げれば、生活の最高価値を心にはぐくむ行動と解しうる。

82 スターバック (アメリカ宗教心理学者)
 宗教とは、生命の深奥にあるものと、そして生活を取り巻いて広がっている、より大きい現実に対する、情緒的な適応行為である。

83 ユング (スイス精神分析学者)
 宗教的行動とは、人類の原始時代から行なわれてきた、全たき完全(The whole self)を目ざす精神的、社会的行動である。

84 ブーバー (イスラエル宗教哲学者)
 われとなんじ(I and Thou)の関係を無限に延長すれば、われは永遠のなんじと出会う。あらゆる個々のなんじは、永遠のなんじをかいま見させる窓ともいえよう。こうした個々のなんじを通じて、われは永遠のなんじに呼びかける。われと永遠のなんじの関係は、個々の存在者に含まれたなんじの仲立ちによって実現する。(もっとも実現しないこともあるが。)われわれの生得のなんじは、おのおのの関係において実現される。しかし、たとえ生得のなんじがわれとどのような関係を結ぼうとも、それは完全ななんじとはなりえない。つまり、われ―なんじの関係は、われが、絶対にそれ(It=単たる物)とならないなんじと直接に結び付かないかぎり、完全には実現されないのである。(野口啓祐訳)

85 ジョンソン (アメリカ宗教心理学者)
 宗教とは、価値の創造者(a trusted creator of Values)との私的な協力行為である。

86 プラット (アメリカ宗教心理学者)
 宗教(信仰)とは、所与の対象の示す現実に協替の意を表わす精神的態度と定義しうる。

87 ヒューム (アメリカ宗教学者)
 哲学、倫理、その他あらゆる文化的活動の機能と対照される宗教の最も顕著な機能は、人が、この世で、超人的力(Power)として認めるものとの関係を通じて、その人に、かれの生がいで最高の充足感を与えるということである。

88 西田幾太郎 (哲学者)
 宗教とは神と人との関係である。神とは種々の考へ方もあるであらうが、之を宇宙の根本と見ておくのが最も適当であらうと思ふ。而して人とは我々の個人的意識をさすのである。此両者の関係の考へ方に由つて種々の宗教が定まつてくるのである。然らば如何なる関係が真の宗教的関係であらうか。若し神と我とは其根底に於て本質を異にし、神は単に人間以上の偉大なる力といふ如き者とするならば、我々は之に向つて毫も宗教的動機を見出すことはできぬ。或は之を恐れて其命に従ふこともあらう、或は之に媚びて福利を求めることもあらう。併しそれは皆、利己心より出づるにすぎない。本質を異にぜる者の相互の関係は、利己心の外に成り立つことはできないのである。
 コバルトソン・スミスも宗教は不可知的力を恐れるより起るのではない、己と血族の関係ある神を敬愛するより起こるのである、又宗教は、個人が超自然力に対する随意的関係ではなくして、一社会の各員が、その社会の安寧秩序を維持する力に対する共同的関係であるといつて居る。凡ての宗教の本には神人同性の関係がなければならぬ。即ち父子の関係がなければならぬ。併し単に神と人と利害を同じうし神は、我等を助け、我等を保護するといふのでは未だ真の宗教ではない。我等が神に帰するのはは其本に帰するのである。また神は万物の目的であって即ち又人間の目的でなければならぬ。人は各神に於て己が真の目的を見出すのである。手足が人の物なるが如く、人は神の物である。我々が神に帰するのは一方より見れば己を失ふやうであるが、一方より見れば己を得る所以である。基督が「その生命を得る者は之を失ひ我が為に生命を失ふ者は之を得べし」といはれたのが、宗教の最も醇なる者である。真の宗教に於ける神人の関係は、必ず斯の如き者でなければならぬ。我々が神に祈り又は感謝するといふも、自己の存在の為にするのではない。己が本分の家郷たる神に帰せんことを祈り又之に帰せしことを感謝するのである。又神が人を愛するといふのも此世の幸福を与ふるのではない。之をして己に帰せしめるのである。神は生命の源である。我は唯神に於て生く。かくありてこそ宗教は生命に充ち、真の敬虔の念も出でくるのである。単に諦めるといひ、任すといふ如きは尚自己の臭気を脱して居らぬ。まだ真の敬虔の念とはいはれない。神に於て神の自己を見出すなどいふ語は、或は自己に重きを置く様に思はれるかも知らぬが、これ反つて真に己をすてて神を崇ぶ所以である。

89 姉崎正治 (宗教学者)
 宗教とは、人類の精神が、自己の有限なる生命能力以上に何か偉大なる勢力の顕動せるを渇望憧憬して、之と人格的交渉を結ぶ心的機能の社会的人文的発展なり。
 吾人の宗教と称する概念は、人心自然の要求より発して、人間が人格的に依属信頼する対象を憧憬渇仰し之と融合せんとする機能にして、此機能は其性質自ら包括的融合的なるを以て、常に一個人の精神に止る能はず、多数の与衆と共にせん事を求め、又其内容を歴史及社会の発達に求めずんば止まず、宗教の活動し存在する根拠は心理的なるも、其養源と発表とは社会的発達的なり。

90 加藤玄智 (宗教学者)
 1 客観的定義。――神的なるものと人との究極的関係を謂ふ。
 2 主観的定義。――吾人の究極的証信、即ち究極の安心立命なり。
 (あるいは)宗教とは、神と名づけられるところのもの、即ち神的なるものと人間との特殊関係の実意識である。“Relegion is a man's practical consciousness of his being in a special relation with what is called devine or the Devine.”

91 高木壬太郎 (キリスト教学者)
 人が自己の宇宙の一部分なるを自覚するより生ずる感情は、宗教の基礎をなすものなり。

92 矢吹慶輝 (宗教学者)
 宗教成立の要件は、超人の存在を信じ、それに対する信頼・帰依或は冥合の精神状態を生ず、即ち人格者たる自己が、超人と人格的関係を求むるにあり。一言にして云はば、神と人との関係なり。

93 波多野精一 (宗教哲学者)
 理性の普遍妥当的価値を、私達に於て、また私達を通して、その価値内容を実現する超越的、絶対的実在の顕現として体験することに宗教の本質は存在する。

94 帆足理一郎 (哲学者)
 宗教とは、人間が人間に非ざる宇宙の或超越的なる精神的実在と、又宇宙全体と人格的社会的関係を立てんとする努力なり。

95 佐野勝也(宗教学者)
 宗教とは、超人間的なるものと人間が何等かの関係を有すると感ずる場合の、人間の意識及び之より生ずる人間の行為なり。

96 土屋詮教 (宗教史学者)
 宗教とは、人心の最高理想に対する熱望、及び之に達せんとする大道なり。

97 比屋根安定 (宗教史学者)
 宗教とは、人心が自己の有限なる生命能力を超えて、偉大なる超人間的実在の現存せる事実を意識し、之に渇仰し、之を憧憬し、此実在と人格的関係を結ばんとする精神的態度なり。

98 石橋智信 (宗教学者)
 宗教とは、自力他力を併せ考へると、いのちが、ちからを(神仏などとか、真如法性とか)、思い浮べて、それに、めぐみを享ける事に、あるいは即することによつて、いのちを拡充して行くことである。

99 宇野円空 (宗教学者)
 宗教とは神聖感、神秘感、威厳感等、特定の心的態度によつて特徴づけられたる生活態度に基く生活なり。

100 長田新 (教育学者)
 宗教の名もて呼ばれる特殊な既成宗教を解釈したり評価したりするのは周知の如く神学の立場であるが、これに対して彼のスピノザがいう「永遠の相の下に」聖なるものの本質を明らかにしようとする立場は宗教哲学の立場であると云つていい。このような立場に立つて考へると宗教は吾々の価値活動の一切をそれの最後窮極の意味において成立させる根本原理である。宗教は古来?々真理や道徳や芸術と並んだ一つの価値として数へられた。宗教を一個の価値として数へるのは勿論いい。併し宗教は他の諸価値と同格的に肩を並べる一個の価値ではない。云いかえれば宗教は単なる価値ではなくていはば「価値の価値」ではあるまいか。私見によれば真理や道徳や芸術の世界の極まるところが宗教であり、一切の立場の尽きるところに宗教の世界は展けてゆく。

101 大言海より
 神仏などの教を旨と押し立てて、これを信じ、これを守り,これを行ひて、人の心を治むる事の総称。

102 鈴木大拙 (宗教哲学・仏教学者)
 宗教は理屈では通らぬところに落着くよりほかなし。そこが安心、自ら肯う安心のところ。そこに宗教的世界、宗教的境涯がでてくる。

103 川面凡児 (宗教問題研究家)
 宗教とは、神人合一神人不二の意義を表白したる祭祀的形式を云ふ。

104 キタガワ (アメリカ宗教学者)
 宗教とは、この人間生活のどのような面にも究極的な意義を与える、すべての人間体験の精神的根源というべきものである。